椙山 満先生にいただいた手紙を元に構成されています。 | |
椙山先生にお手紙をいただきました。
手紙には5枚の写真が同封されていました。 それは徳山海軍燃料廠史という本からの抜粋でした。 下工弁慶号の阿下喜到着も間近になりましたので、この貴重な資料を連続掲載する事にいたします。 |
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明治末期の徳山海軍練炭工場の現役時代。
写真は全て徳山海軍燃料廠史より。 弁慶号は新生直後からこの工場で働きました。 |
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明治末期の同工場内の石炭採炭場です。
ここで亀の子が運転されていたと思われます。 |
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山陽鉄道が国有法により国有になったのが明治40年。
採炭場が広くなり、山陽鉄道の52(形式1010)が亀の子の代わりにレールを改軌して入線してきました。 |
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山陽の52(形式1010)が門からチラッと見えています。
かくして亀の子は徳山からリタイアして下松へ行ったものと思われます。リタイアしてから昭和9年に下松へ行くまでの空白時代が長すぎるので、その間どうなっていたのか。下松へなぜ引き取られたかが疑問ですが、下松には海軍工廠があったからではないでしょうか? 椙山 満 |
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