ASITAがサツキとメイの家を上石津町「時」に誘致する理由

 
 この度私達は「愛 地球博」の最人気のパビリオンになった「サツキとメイの家」岐阜県
上石津町「時」への誘致に向けて上石津町と協働で運動を開始しました。
この誘致には全国
から、特に「となりのトトロ」の舞台といわれる所沢市や東村山市、ジブリ美術館のある三
鷹市など、関東の都市が熱心に活動を展開しています。

 私達は、せっかくの中部地方で開催された万博のモニュメントとして地元のどこかに、
そして、それは近代日本の地方自治の象徴であり、産業遺産でもある我が国最後の都市間軽
便鉄道「北勢線」を持つ北伊勢地方と、その奥に位置する昭和初期のまち時(とき)こそが
移設にふさわしい場所であると確信しています。

 軽便鉄道北勢線は明治末の軽便鉄道法により大正3年4月5日に蒸気機関で運行を始め、
昭和6年7月8日に電車化されて今日まで桑名市と北勢町(現いなべ市)を結ぶ交流圏のラ
イフラインとして存在して来ました。最近の廃線の危機を沿線住民と行政の協働で乗り越え、
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mmの特種狭軌を活かしたヒューマンスケールの時間と空間を提供し続けており、
かつて全国に300路線あった、軽便鉄道という産業遺産の生き証人の地位を保持していま
す。
 
 さて、これから東京や大阪、名古屋などの大都会に住む人達の高度成長前の昭和日
本の原
風景への旅をシミュレートしてみましょう。
名古屋という21世紀の現代都市から、JR近鉄
で桑名まで20分余、それから西桑
名駅で北勢線に乗車した時から、都会人のトトロに逢う
タイムマシンが動き出します。
桑名市内は何の変哲もない地方都市のままですが、穴太(あ
のう)駅を過ぎると、
東員町の田園地帯に入っていきます。楚原(そはら)駅からは「美し
い日本の歩きた
くなる道500選」に選ばれたウオーキングコースを有する員弁(いなべ)
の森に変
ります。
 そして蒸気機関車では越えられなかった麻生田(おうだ)の丘を下ると、そこは戦災を免
れた昭和6年の駅、阿下喜(あげき)。

 時間が逆戻りしていく沿線の風景を楽しんで一時間弱、終点の阿下喜には「時(とき)サツ
キとメイの家」行きの猫バスが待っていて、サツキとメイになった人達を水嶺湖の畔、日本
昭和音楽村に建つサツキとメイの家までご案内するのです。

 読み慣れない個性的な駅名が、この沿線の古い時代からの町(村)の形成を表しています。
ちなみに穴太は清水次郎長のライバルだった穴太徳次郎の生地です。

 このように狭い地域にとらわれない、愛知、三重、岐阜にまたがる広域のアクセスプラン   
は他に比較できないと自負しております。

 誘致先候補の上石津町「時」にも、奥州に下る元服前の義経に討たれた伝説の大盗賊「熊
坂長範」が根城にしていたという烏帽子岳がそびえ、琵琶湖中央へ抜ける街道、
峠には平家
の落人伝説や木地師の里など山人と常民との接点が多く残る魅惑的な民俗
舞台が宮崎駿監督
の次期制作意欲を喚起するのではと期待しております。

   

                                 ASITA(北勢線とまち育みを考える会) Email